作品に対する"人で見る""ストーリーで見る"分かれ道の考察と香川照之という役者について
初めまして、切符と申します。
突然ですが、貴方はドラマ、映画を俳優で見ますか?ストーリーで見ますか?
「ドラマなんぞ見ん!!」という方は、小説は作家で買いますか?ストーリーで買いますか?
ここで一つの疑問。
「ドラマを俳優(もしくは監督)で見るかストーリーで見るか」という問いには、大部分の人間が「ストーリー」と答えるであろうと思う。
例えば香川照之と山崎賢人が"二人でアリの飼育をする"ドラマが放送されることが決定したとして、渋谷を歩くJK100人に「このドラマ見ますか?」とインタビューした時、半数以上は「興味ない」と答えるだろう。
しかし、香川照之と山崎賢人が"バディを組んで悪の組織に立ち向かう刑事モノ"のドラマをやるとしたら、半数以上は「面白そう」と答えるだろう。"年齢差コンビ"などと適当にキャッチコピーをつければ尚更である。
余談だが私は確実にアリの飼育の方が見たい。毎週録画し、各話二回は見るだろう。NHKプレミアムで無駄に画質の良いレンズで撮ってくれれば尚最高である。最早渋谷のJKすらなびくのではないかと思える程魅力的な例えであった。
話を戻すと、この結果が容易に想像できるということは、大部分の人間がドラマをストーリーで見ていることが容易に想像できるのと等しい。
ここで小説の方を考えてみる。あくまで私の考えだが、多くの人間は小説は作家で選んでいると思う。
これは映画やドラマの選び方と比較するのが一番分かりやすい。レンタルビデオ屋に行った時、映画は国別のアイウエオ順、あるいはジャンル別のアイウエオ順に並んでいる。しかし本屋は違う。基本的に通常の本屋ならば本の並びは作家順である。
よく"映画を監督順に並べる人間は映画好き"という描写があったりするが、これは"監督を気にする人はディープな映画好きである"という大多数の潜在的な"監督まで気にしない"意識によるものだと思う。しかし本では、友人の家の本棚が作家別に並んでいたところで何の驚きもない。大体は作家で並べる筈だ。寧ろ作家がバラバラでジャンル別アイウエオ順になっている方が気にせざるを得ないディープさを感じる。
私はかねてから香川照之にカマキリをメインとした昆虫解説本を出版して欲しいと思っている。売れると断言できる。少なくとも私は買う。実物の写真と共に香川照之直筆の解説が欲しい。初回特典のDVDで思う存分に語って頂ければより需要は高まるだろう。
以上から一般的に本は作家、ドラマはストーリーで選ぶと考えられる根拠が分かっただろう。
ではなぜ、そう分かれるのか?
その答えを私は関わる人間の数の違いであると考える。
小説を書く人間は一人である。一人が沢山の人間を書き、ストーリーが繋がれる。何が起ころうと一人で書き終えなければならない。
それに比べてドラマ、映画はどうだろう。脚本。監督。照明。音響。役者…上げるとキリが無いほど関わる人間が多い。すると、どうなるか。人の化学反応が起こる。
例えば最高な映画に出会ったとする。
監督をチェックし、意気揚々と次回作を見に行った。しかしその新作は最悪の出来であったーーという事件は案外あるのではないかと思っている。これはその最高な映画はそれに関わった監督を始めとする脚本、キャスト、照明、音響、役者、主題歌ーー様々な要素が混じり合った結果「最高な映画」が出来上がっているからだ。しかし同じ脚本家、同じスタッフ、同じ役者と作ればそれは必然的に「最高な映画2」になってしまうので、次回作は人を変える。
小説は一人が主導権を握っており、環境が安定している。ドラマ、映画は大勢の人間がいっせーのーせで作り上げるもので、毎回環境が変わる。これが人を選ぶかストーリーを選ぶかの分かれ道なのだと思う。
ちなみにここまで言っておいてアレだが、私は役者目当てでドラマと映画を見る。この見方だと最高につまらない作品でもその役者の演技が見れただけで元が取れる。演技そのものに価値がある、香川照之という役者は特にその言葉が似合うと私は思う。
こんな感じで好きな時に好きな事書きます。
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