水とアルミニウム

作:切符

「1円玉って、1gなんだって」

「知ってる」

「魂の重さは21gらしい。だから21円集めりゃ魂だ」

「あれはヒトの水が蒸発した重さだろ」

「は!?」

「症例数少ないし計測も雑な実験の話だ。大体ヒトが死ぬ瞬間ってどの瞬間だ」

 刻間は耳が隠れる長さの薄黄色の髪を揺らし、ガクリと肩を落とした。

 1円玉を100枚集めたからもう一度旅行に行こう、刻間は10年振りの電話で唐突にそう言った。『もう一度』の一度目が高校3年の話であり、その時そう話した事があったのを思い出すまでに時間を要した。当時目指していた大学で評判の研究室に入るべく研究を重ね、その一環で地方の水質調査を行う必要があったのだ。隣席だった奴は、面白そうという理由だけで行きたいと言い出し、人手はあるに越したことが無く渋々了承した。馬鹿はあの時から変わらない。

 仕事の都合で合流が午後になり、初日は直ぐ旅館へ向かう事になった。着くと開口一番、1円玉は実は80枚しかないと特に興味もない告白をしてきた。

100枚まで待ちきれなかった、と、刻間はそのたった一言で言い訳を済ませた。

アルミニウムの塊が蛍光灯を反射し白く光っている。積み上がった山に指先を乗せて引き摺り下ろすと、一枚がずるりとついてきた。

「うお、すげー夕日」

同じ行為を繰り返していると、不意に間の抜けた声が部屋に響く。アルミの山からちらとその声の方を見ると、風呂上がりの刻間がタオルで頭を乱雑に拭きながら、一直線に窓へ向かっていた。道中しっかり煙草とライターを手に取っている様子を一瞥し、視線を戻して作業を再開する。

 奴が自分を急に誘った理由には毛頭興味が無かった。只、旧友の様子がかつてのそれと少し違っている事にはとっくに気付いていたし、様子の可笑しさやどこか有無を言わせぬ空気はひしと感じていた。これは決して長年会っていなかったから等という理由ではなく、単純な人付き合いの上での人間観察と少しの勘であった。だからと言って何を聞く気にもならず、刻間が今更それを望んでいるとも思わなかった。1枚、2枚、指先を滑る1円玉を追い、頭を数字で埋め直す。あれほどあった山が平野へと変わる頃、はたと気付いた事実に思わず顔を上げた。

「おい、1枚足りないぞ…」

 窓の外を眺めていた。

 生温い風が緩く撫でるように流れ、煙草の煙がゆらと踊る。薄黄色の髪は夕日の橙に侵略され、瞳の奥までもがその色を灯していた。煙草を片手に携えたまま、山の向こう、どこか知らない場所を眺めるようなその表情は、自分の言葉の語尾を切るのにはあまりに十分だった。

「…ん?何が?」

 男が2秒遅れて、橙色の瞳をこちらに向ける。胸を強く叩かれる暴力に似た郷愁に眩暈すら覚えていた自分は、次に続く言葉がどうにも思いつかなかった。否、声をかけた事実すら忘れていた。自分の頭の中は数えていた数字が全て抜け落ち、尋ねるべきか否か、その問い1つで埋まっていた。

「おい、それ全部数えたのかよ」

刻間が目を見開く。その視線の先は、立て肘をついて寝転がる自分の目の前に広がるアルミ塊の平野へと向けられている。

「あ…ああ。一枚足りないぞ。10枚を3回ずつ確認してるからほぼ確実に79枚だ。もう一回数えてもいい」

「いや…1枚…え!?」

「やっぱり間抜けにコケてた時に1枚無くしたな。わざわざ手に持って歩くからだ馬鹿」

「間抜け…ちょっと躓いただけだろ!」

「盛大に躓いて10枚くらい落としたろ」

「アホか!?5枚零しただけだわ!それも全部拾って…」

「6枚零してたんだな」

「待って、つーか何でそんなん数えてんの?」

「何でって…それ以外にやることがない」

 視線は完全に自分に向いていた。暫くの間こちらの顔と1円玉を見比べ、人の顔をジロジロ見るものではないと一つ文句をかまそうかと思った時、刻間が突然俯く。少し震えていると気付いた瞬間、バッと顔が上がった。

「あはははは!!」

 大きな笑い声が部屋に響く。

「あははっ、ははは!!」

「…何笑ってんだ」

「お前、バカか!?ははっ、1円玉80枚数えたのかよ!」

「だから、80枚ない――」

「こんな良い旅館来て…、ははは、ひー、苦しい、」

「お前……。ぶっ飛ばすぞ…」

刻間は窓から離れ、畳の上に寝転がるとより一層笑い転げる。悩んだ自分の馬鹿らしさに思わずため息を吐くと、今度は数えた1円玉を一つずつ袋へと戻していった。

「あ、ここ!懐かしいな」

 翌日に川を見に行くと、刻間が浮足立った声を上げる。軽く川を覗くと、その姿はあの頃とまるで変わっていないように見えた。

「変わんないもんだな」

「いや…。きっと汚くなってる」

「そーいうもんか。そういや、あの時水質どうだったんだよ?」

「酷い数字だったな」

 不意にシャンシャンと異様な音がして隣を見ると、はははと気持ち良く笑う刻間が、昨夜数えたアルミ塊の袋をまるで玩具のようにブンブンと振り回している。

「おい、刻間――」

「あ!」

 キラ、と一つ何かの光が瞬いたその瞬間、目を見開いた。

 刻間の手の先の袋から、アルミの塊が我先にと次々飛び出していく。空へ解放された79枚の1円玉が陽の光を浴びてくるくると舞った。チカチカした光の粒が、四方八方から目の底まで無邪気に飛び込んでくる。

 息を飲む間も無かった。1円玉は放物線を描いて一気に川へと飛び込み、見事底へと着地する。自分と刻間は一瞬の内に起きた出来事を整理するように、暫くの間、時折光る川底を眺めて押し黙っていた。

「…昼間の星みたいだ」

刻間がポツリと呟く。

「…どうすんだ。拾うか」

「ううん、いい」

「いいのかよ、せっかく集めたのに」

「100枚ねえしな。ここに置いていく。川の主には後で謝っとくよ」

 あまりに突拍子もない発言に少しの間目を見開くと、ふ、と思わず口角が上がった。

「そろそろ帰るか、蒼」

 刻間が持病で死んだと聞いたのは、あれから3年も後の事だった。

 帰りの夕日をぼんやりと眺め、唸るような残暑にパタパタと手で作った団扇を仰ぐ。喪服のままコンビニに入ると、店員が一目見て何かを察したような顔をした。一直線に冷凍庫の置いてある棚を見下ろすと、中から冷えたアイスを取り出す。

 予想していた訳では無かった。だが、何かあるのだろうと、ずっと考えていた。本人に隠していたつもりは無かっただろう。只自分に、言う必要は無いと思っていた。自分との旅行を了承していて、亡くなった事を自分に連絡してくれた刻間の家族からは、余命宣告をされた直後、突然自分と旅行へ行きたいと言ったのだと聞いた。刻間の友人関係など微塵も知らない。数ある友人の中でたまたま自分と最初に行き、その後も何人かと旅行に行ったのか、自分としか行かなかったのかどうか等知らないし、そこに興味は無い。10年も会っていなかった自分なら、変な重荷を感じさせずに済むと思っただけかもしれない。実際自分は、あの葬式の場の誰よりも冷静だったような気がしていた。

「138円です」

 店員の言葉に財布を漁る。100円玉を2枚トレーに出した後、釣りの端数を気にしてアルミの塊に手を触れた。

 瞬間、脳裏に一枚の絵画のような景色が思い浮かぶ。

「――あ」

 魂の重さは21gらしい。

 研究室。水質調査の旅。久々の再開。夕日を眺める横顔。あの日刻間は79gを持ち上げて、俺の一部だと豪語していた。

「そうか」

100g足りなかったのだ。

水滴がひとつ、ポツリとアルミ塊に落ちた。 

文芸風前会

~やりたいことだけ、書けばいい~

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