グアテマラ
作:香羅伽 梢
「コーヒーの名前ってさ、国名だけで括ってくるの横暴じゃない?」
「それくらいしか味が無いんじゃないか?その代表格みたいな」
「みかんが海外で”じゃぽん”って品種で売られてたらどうよ」
「なんでみかんなのかは謎だけど、それは横暴だね」
「ぽん、だから何となく」
「ああ、ポンカンとかね」
柑橘類の話になったからか、口に含んだコーヒーが少し酸味を帯びた気がした。
いや、違う。話題のせいではない。コーヒーとは違う匂いが、鼻に横入りしてきたからだ。
「香水つけてる?」
「いや?あ、ハンドクリーム変えたからかな」
「……ふーん」
自分で話を振っといて何だが、敢えて話を広げることなく、相槌だけで打ち切った。
「沙希、課題終わったらすぐ帰れよ」
「えー、どうせ祐治ご飯支度してないでしょ。手伝うから、一緒に食べよ」
「ダメだろ、色々と」
「ふーん、今更だけどね」
沙希とは、実家が近所なことがあって、昔からの付き合いだった。異性だろうとお互いの家に上がり込むことに抵抗はない。それは、大学生になって上京して、たまたま大学まで一緒だった自分たちにとって、何ら変わらない習慣だった。
ただ、今は明らかに事情が違う。家に上がり込ませてる時点でなんだが、そこはせめてものけじめだった。
「このコーヒー、初めて行ったお店で買ったけどいいね。深煎りだから、美味しいって分かりやすいし」
「無難っちゃ無難な味だけど、まあな」
「じゃあ祐治もコーヒーミル買ってよ。粉だから味の限界なのかもよ?」
「それはないない。はいはい美味しいよ」
も、に引っかかりを感じたが、それもまたスルーした。
最近沙希はコーヒー豆を持ってくる。色んな店で買ってきては、俺にも手土産にくれるのだ。ただ、自分の部屋にコーヒーミルなんて大きな音を立てるものは置いていないため、自分には既に粉になっているものを買ってきてくれるのだ。
おかげでコーヒーフィルターやドリッパー、口が細いヤカンを、新生活で買わなきゃいけないものリストの上位に急遽食い込ませる羽目になった。これでも揃えた方なのだ。
「前飲んだヤツよりこっちの方が、やっぱり万人受けする感じかな」
「ああ、まあ無難って意味ではそうかもな」
「そっか!」
「……お前、味くらい自分で決めればいいだろ」
「うーん、でも好みって人によるじゃん?とくに、女性と男性で傾向はあるんじゃないの」
「コーヒーに男側の意見がいるのか?」
「あー、まあね」
沙希は足の組み方を少し変えた。その足元に、自分にくれたコーヒー豆と同じ紙袋が見え隠れする。コーヒー豆が入った包みは、自分のものよりひとまわり大きかった。複数人で消費するタイプの量だ。
別に隠さなくてもいいのに。
いや、隠しているつもりはないけれど、何となく言えないだけなのだろう。
それもそれで何なんだ。
言えばいいじゃないか。
彼氏ができたって。
「……お前は紅茶の方が好きなんじゃないか?」
「……」
「よく飲んでただろ、濃いめに淹れたアッサム。そもそもブラックなんて飲み始めたの最近じゃないか?本当はスタバのキャラメルソースみたいなのがかかってる感じの、甘いのがいいだろ」
「いや、別に無理してるわけじゃないよ」
「無理なんて言ってない。味の好みが変わることはおかしいことじゃない。でもお前は今無理してるかどうかを聞いてると思って訂正しだした。それが逆に……そういうことにならないか?」
「そういうこと?」
「いや、なんでも」
カマのかけ方が甘すぎた。不自然な沙希の持ち物や会話の節々からもう分かり切ってはいるのだが、何となく自分の口からそれを聞くのははばかられた。
かといって別に沙希の口からそういった話を聞き出す必要性は全く無い。そして、不自然な態度を取られ続けるのにも限界があった。
変な香りがするハンドクリーム、チビチビと舌先で転がすように飲む沙希のコーヒー、やたら求められるコーヒーの感想と、俺に持ってきたそのコーヒー豆と同じもう一つの紙袋。
プレゼントされたハンドクリームのお返しに彼の好きな拘りのコーヒー豆を背伸びして買って、お家にあるらしいコーヒーミルで砕いてもらって二人でしばくわけですか。で、彼は味にうるさいから普段沙希よりはコーヒーを飲んでる俺の意見が欲しいと?どうせお前から貰えるものはどんだけ湿気た豆でも嬉しいだろうよ。
どれも気が付く度に自分の部屋なのに居心地悪く感じてしまう。まだ話してすらいないのに、今まで二人でやってきた間に既にそのぽっと出の彼氏の影が見え隠れしているようで、それが自分を無駄に苛つかせるのだ。
「……祐治、あのね」
「――牛乳持ってきてやる」
かといって、いざ沙希が何かを言おうとすると、また逃げてしまう自分がいる。
「……グアテマラって言うんだって、このコーヒー豆」
「ガテマラじゃないか?」
そして沙希も出しかけた話を引っ込めてしまう。最近その繰り返しだ。
牛乳を持っていくと、沙希は案の定すぐ自分のコーヒーに注いだ。何なら砂糖もそれなりに入れていた。
「そんなに入れるとどのコーヒーでも味変わらないんじゃないか?」
「最初にちゃんと確かめたから、もういいの」
二口ほどしかブラックで飲む気が無いんじゃ、ガテマラがいたたまれなくなってしまう。
「こないだ忘れていった本とか上着、今日はちゃんと持って帰れよ」
「えー、荷物が少ない時に祐治が大学まで持ってきてよ」
「その方が面倒くさいだろ」
もとの他愛ない会話に戻ったことに、お互いほっとしている気配がする。
つまり話したくないとお互い思っていて、思っているということはこのままでいたいと望んでいることで、それが満更でもない気にさせてくるものだから、またズルズルと今までと変わらない過ごし方をしてしまうのだ。
「もう。そんなに急かさなくても、もう課題も終わったし今日は帰ろうかな」
牛乳と砂糖が入った途端、沙希のコーヒーはほぼ一気飲みで片付けられた。
「さっき言ってたグアテマラ?ガマテラ?って、何か違うのかな?」
「え?」
「ほら、国名の話。この豆もそういう国名だから」
その不慣れなイントネーションが、ふと耳に残った。
ゆっくり5文字でグアテマラじゃなくて、どちらかというとグァテマラに近い。だったらいっそガテマラと言ってしまうようなところが多いが、沙希にはその違いはピンと来ないだろう。
そんなに背伸びしなくても、俺の家なら紅茶葉だっていっぱいある。
ハンドクリームなんて意識して塗らないとすぐ身に着けるのを忘れてしまいそうなものじゃなくて、お前だったらもっと実用品が欲しいだろ。
俺の方が――。
「彼氏の、どういうところが好きになったんだ?」
不意にとうとう出てしまった言葉に、帰る支度をする沙希の背中が揺れた。
「あ……」
引っ込めようにも、もう遅かった。
こちらに振り向いた時に見せた沙希の顔は、少し泣きそうだった。
「…バイトの人なの。研修をしてくれて、すごく親切で、私の、ミスとか、かばってくれることが多くて、それで……」
かすかに震える声を押さえるために口を一旦真一文字に結び、呼吸を整える。
誤魔化しや嘘が苦手な彼女が、どうしても言い逃れができなくなった時によくする表情を見て、無理にでも本や上着を持って帰るよう言っておいて良かったと思い出す。
沙希はもう、自分の家には来ないだろう。
「……あのね、祐治みたいな――」
言いかけて、また言葉を飲む。俺はいつものように、彼女が言うことをまとめるまでじっと待った。
「……私のこと、好きって言ってくれるところ、かな」
ああ、それは敵わないな。
失笑しそうになるところを寸で止めた。
「……コーヒー、飲めるようにならなくてもいいからな」
「うん、無理しないでよく話す」
「そうだな」
挨拶もいつものように適当に、まるで明日も同じように過ごせると思っているように、今度は振り向きもせず沙希は帰っていった。
沙希を見送ってから部屋に戻ると、コーヒーは完全に冷めていた。改めて口を付けると、今度は本当に酸っぱく感じた。
それは今の心情に似合って――とかそういうわけではなく、単に時間が経ってコーヒーが酸化したからだろう。
ふと机の端に目をやると、沙希が持ってきてくれたコーヒーの粉の包みが目に入った。
自分にくれた包みの中身は100gだ。少量だが、一人暮らしをする人が単独で飲むには丁度いい量だった。
対してあの時沙希の足元にあった包みは、自分よりもひとまわり大きい200gだろう。二人以上で消費することを前提とした量だ。見たこともない彼氏にあげるコーヒー豆に、沙希自身もカウントすることで辻褄が合う。
情緒のない話しかできない自分にも、突きつけられる事実としてはこれはよく効いた。
自分には素直に出せなかったその一言が、沙希がくれる二つの包みの違いを生んだ。
コーヒーの国名のように、幼馴染という大雑把な括りに阻まれてしまい、それはどうしても最後までできなかったことだ。今更どう頑張ったとしても自分には、
あと100g足りないのだ。
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