ご挨拶に代えて 闇鍋レビューとその概説


◆序文


6月某日。

文芸風前会のブログのリニューアルにあたって、メンバー毎に与えられた個人ページ。

その第一号記事を書こうとして、早速 手が止まった。



「書けない!」



既にアップロードされているメンバーの挨拶記事はどれもユニークで

自己紹介と各人の「書きたい欲」を絡めた文章からは

個性がダイナミックに溢れ出して止まらない。


そういう秀逸な先例があるのだからそれに倣えば良いのだが

にもかかわらず、私は今の今まで一文も書けずにキーボードの前で唸っていた。

何が書けないかっつーと、自己紹介の部分が書けないのである。



恥ばかりの我が人生を恐る恐る振り返ってみると

どうも自己紹介がうまくいったシーンというものが見つからない。

この世に生まれ落ちてからというもの、好きになれないくせに

片時も離れずに付き合い続けてきた 一番身近な人間をイイカンジに紹介するということが

どういうわけか私にとっては難しいのである。


まず、褒められた人間でないことは確かだ。

ゴミのポイ捨て、アリの巣の埋め立て、課題の締切超過、図書館資料の延滞……。

これまでに犯した悪行は数知れず、逆に善行の方はというと

頭を逆さに振ってもチリひとつ分の記憶も出てこない。

こんなことばかり書き腐った先に出来上がるのは腐臭漂う言語道断の悪人である。

これでは世間に顔向けできないし、何より読んでいて不快極まりない。

かといって、「明るく元気な物書きです!」「応援よろしく!」という類の紹介文は

似合わない上に全く信用できない。

店員さん相手にやたら偉そうにするのはこの手の人間ですぜ、きっと。


自分で自分のことを書くというのが、これほどまでに苦しいものだとは知らなかった。

出来れば書かずに済ませたい。他人の記事を読むだけでいられればどれほど楽だろうか。

しかし、如何に難題であろうとも 挨拶記事は上げなければならない。


では、どうにかして自己を紹介せずに自己紹介が出来ないものか?

……そういう情けない精神的格闘の果てにひねり出されたのが、闇鍋レビューなのである。



◆概説


闇鍋レビューはその名の通り、対象作品に対し、私が設定した基準でもって

ここ以外ではなんの意味もない点数を付ける、極めて個人的な作品紹介文である。

評価のポイントは次の通り。


  • 世界観

作品が表現する世界や空気に関する点。


  • 勧めにくさ

紹介する際、どれほどストレートに推しにくいかを示す。高得点なほどニッチである。


  • 展開

ストーリーの流れやギミックなど。


  • ビジュアル

挿絵やパッケージなど、画に関する部分。



これら4つの観点から作品を至極身勝手に評価し、

紹介文と共にお届けするのが、闇鍋レビューの概説となる。


……さて、あらためて評価点を見ればわかっていただけると思うが、

本レビューのキモは「勧めにくさ」である。


人はレビューに何を求めるのだろうか。

個人的な意見として、私はそれを「安心」であると考える。

「この人は多くの作品を鑑賞しているから」「この人とは趣味が合うから」etc……。

だから、彼が勧めるモノは私にとっても好ましい公算が高い。高得点のものは尚更である。

そのような考えでレビューを利用している人は少なくないと思われる。


ところが、この考えを「勧めにくさ」が盛大に邪魔する。

コレが混じっている為に、たとえ合計点が高い作品でも安心して手にとることは出来ない。

もしも他の点が低いのを、「勧めにくさ」で補っていたら……。

つまり、これは点数付きレビューとしてはあまり役に立たないように出来ているのである。


じゃあなんでそんな面倒なことをするのかと言えば、

それはこのレビューが「私の自己紹介」の延長線上に存在するからだ。


本棚を見ればその人の趣味嗜好がわかるように

好きなものだけを並べ上げてみれば、私というよくわからないモノも

それなりに理解できる人間になるかもしれない。

なにより、こういう形式を取れば

自己紹介にかこつけた「オレの好きなものを押し付ける機会」が発生するのである。

私自身のことを語るのは冷や汗が噴き出るが、

好物について語るのはカンタンだ。いくらでも語れる!



というわけで、身勝手極まりない文章ではあるが

死ぬほど退屈な時にでもお付き合いいただければ幸いである。

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